モーリーロバートソンの母親が若い頃からスパルタ教育だったの?

   

テレビのコメンテーターとして活躍するモーリーロバートソンさん。

流ちょうな日本語を操り、的確かつ面白いコメントで視聴者を引き付けています。

そんなモーリーロバートソンさんですが、様々な肩書を持つ超天才でした。

その超天才ぶりは母親からの若い頃のスパルタ教育にあったのでしょうか?

今回はモーリーロバートソンさんの経歴や母親について調べていきたいと思います。

それでは早速、見ていきましょう!

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モーリーロバートソンの大学入学まで

そもそも、モーリーロバートソンさんが何者なのか知らない人も多いのではないでしょうか。

そこで、モーリーロバートソンさんの生い立ちから紹介していきたいと思います。

モーリーロバートソンさんは1963年1月12日に、ニューヨークで誕生しています。

アメリカ人医師の父親と、日本人で毎日新聞の記者だったロバートソン黎子さんの間に長男として生まれました。

1968年に父親の転勤で広島市に移住するまでは、サンフランシスコで育ちました。

広島市に移住後は、インターナショナルスクールに通っていましたが、小学校5年生の時に自分は広島人であるというアイデンティティを持つようになります。

そして1973年の小学校5年生の2学期に、自分の意志でインターナショナルスクールを辞めて、広島市立五日市南小学校に転校しました。

日本語や漢字を本格的に学びたいという考えからの行動でしたが、当初は日本の学校生活に慣れるのに苦労したそうです。

自分の意志で広島人として生きていくことを決め、それを実行に移し、日本の学校に溶け込もうと努力したモーリーロバートソンさんの気持ちの強さが伝わってきますよね。

そして1975年には、広島県内でも有数の進学校でもある修道中学校を受験の末、トップクラスの成績で合格してしまいました。

しかし、再び父親の転勤により、中学校2年生の2学期には修道中学校を中退し、アメリカに戻ることになります。

ところがその後、本人の強い希望で広島に舞い戻ってきました。

そして、修道高校に留学生として再入学しましたが、校則を破り、自主退学となってしまいます。

年頃の男子には、様々な誘惑はつきものですよね。

結局は、母親の実家がある富山県に母親と弟とともに移住し、地元の高校に編入して、1981年3月には、無事に高校を卒業しました。

その頃に音楽に目覚めたモーリーロバートソンさんは、自身でパンクバンドを結成し、ライブ活動も行っていたそうです。

高校を卒業するまでにも、普通の人では経験出来ないようなことを多く経験していましたが、その後も波瀾万丈な人生が続いていきます。

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モーリーロバートソンの大学卒業まで

大学受験を控えたモーリーロバートソンさんは、入試直前の3か月間はバント活動を休止し、受験勉強に集中しました。

その結果、東京大学の理科一類をはじめとする、アメリカの超難関大学数校に現役で合格してしまいました。

元々頭が良く、普段から勉強を続けていたとは思いますが、本格的に受験勉強を始めたのが入試直前の3か月前というのが驚きですよね。

そして、日本の最高峰である東京大学第一類に現役で合格するなんて、本当に天才としか言いようがありません。

しかし、その4か月後には東京大学を中退してしまいました。

東京大学に入学したほかの学生は、厳しい受験勉強の末、燃え尽き症候群のような状態になっており、新たなゴールに突き進むというような活気あふれた学生が少なかったそうです。

モーリーロバートソンさんにとっては、大学は、入学してからさらに勉強を重ね、将来の夢を見つける場所だと考えていました。

しかし多くの学生が、東京大学に合格することを目標にしており、さらなる向上心が湧いてこなかったのですね。

そんな雰囲気に嫌気のさしたモーリーロバートソンさんは、心機一転、ハーバード大学で学ぶことを決意します。

合格することより、卒業することの方が難しいとされているアメリカの大学ですが、ハーバード大学もまさにそのような厳しい環境でした。

毎日の宿題の量の尋常ではない多さや、激しく交わされる討論会などで消耗していったモーリーロバートソンさんは、徐々に音楽へ逃避することになり、大学を休学してしまいます。

そして再びバンドを結成するとともに、自叙伝を綴ったり、オカルトの修行を行うようになりました。

それらの経験から、電子音楽とアニメーション融合に興味を持ったモーリーロバートソンさんは、ハーバード大学視覚環境学部に復学します。

そして、1998年3月に映像とモンタージュ作品を卒業制作に選び、ハーバード大学を卒業しました。

感受性の豊かなモーリーロバートソンさんは、大学に入ってからも様々な経験を積み、若干遠回りしてしまいましたが、無事に卒業までこぎつけています。

逆に遠回りした分だけ人生経験が豊かになり、その後の人生に生かされるようになったのでしょうね。

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モーリーロバートソンの母親が若い頃からスパルタ教育?

実は、モーリーロバートソンさんの母親も凄い人物だったのです。

旧姓は蒲田 黎子(がまた れいこ)さんとおっしゃり、生家である蒲田家は昔ながらの大地主で、広大な土地を所有するほどのかなり裕福な家庭でした。

そのような環境で勉強を頑張った母親は高校卒業後、東京外国語大学英文科を経て、早稲田大学第一政治経済学部に入学します。

本当に向上心が高く、勉強熱心な方だったのですね。

英語の習得だけには飽き足らず、政治経済にも興味を持ち、超難関とされる早稲田大学でも知識を深めていったのですね。

1957年に大学を卒業した母親は、毎日新聞東京本社に就職しました。

そして、1958年8月からは日本人女性初となるフルブライト奨学金を獲得し、ヴァージニア大学に留学します。

そこで将来の旦那さんとなるトマス・リー・ロバートソンJrさんと知り合い、1961年に毎日新聞社を退社し結婚しました。

結婚した両親は渡米し、モーリーロバートソンさんを儲けます。

アメリカではPTA委員や地域政策アドバイザーなとを務めながら、子育てに励んでいました。

決してスパルタ教育というわけではなく、むしろ、本人の意思を尊重し、陰ながら応援するというスタイルでした。

日本に移住後も、インターナショナルスクールでは自由な校風のもと、モーリーロバートソンさんは勝手に読書や勉強に励んでいます。

もともと天才だったモーリーロバートソンさんにとっては、勉強することはごく当たり前の生活の一部であり、本当に好きなことだったのでしょうね。

しいて言うならば、父親と母親の優秀な遺伝子を受け継いだがゆえに、モーリーロバートソンさんという天才が生まれたということですね。

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おわりに

モーリーロバートソンさんの何のよどみもない、流ちょうな日本語を聞いた時には驚きました。

それと同時に何者なのか?ということが気になりましたが、心は完全に広島人でありながら、単に米国籍を持っているという人物でした。

そして、そのトーク力はDJとしても活躍されているだけあって、当然のように上手ですよね。

下手な日本人よりも日本のことを知り尽くし、日本を愛しているのではないでしょうか。

ユーモアがあり、天才であるモーリーロバートソンさんの今後のご活躍も心より応援しております。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!

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