三浦瑠麗の若い頃が壮絶!性被害や子供を亡くすとういう経験も!

      2019/11/09

テレビやネット配信でその姿を見かけることの多くなった三浦瑠璃さん。

美人な容姿で妖艶な雰囲気をかもし出す姿から飛び出す、歯に衣着せぬ物言いには、正直ビックリした人も多いのではないでしょうか。

国際政治学者としての独自の理論で共演者と口論になることもあります。

頭が良いというのはもちろんのことですが、相当の肝の据わっている女性ということですよね。

そのような強い女性になったのは、もともとの資質があったのだとは思いますが、若い頃に壮絶な経験をされていました。

性被害子供を亡くしたという経験を持ち、それらを克服してきたことで、さらに強い女性へと変貌を遂げていったのでしょうね。

今回はそんな三浦瑠璃さんについて調べていきたいと思います。

それでは早速、見ていきましょう!

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三浦瑠璃って何者なの?

そもそも三浦瑠璃さんが何者なのか、詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。

そこで、まずは簡単な三浦瑠璃さんのプロフィールから紹介しますね。

三浦(旧姓:濱村)瑠璃(みうら るり)さんは1980年10月3日生まれなので、2019年の誕生日には39歳に見えます。

とてもアラフォーとは思えない若々しさを持っていますよね。

神奈川県出身の三浦瑠璃さんは、5人兄弟の真ん中で、相当厳しい家庭環境で育てられたそうです。

三浦瑠璃さんの父親は東大の大学院を経て、心理学博士になったという超エリートでした。

そんな父親は、子供たちには一切テレビを見せることを禁止し、子供たちを甘やかすようなことをしていなかったそうです。

オモチャも買い与えられなかった三浦瑠璃さんの楽しみは、図書館から借りてきた本を読みあさることでした。

学校でもテレビなどの話題についていけず、とにかく本を読んでいたそうです。

その結果、小学校高学年の時から同級生からは無視されるようになり、高校生になるまでそのような状況が続きました。

逆にそのような状況が、父親のように学者になることを夢見ていた三浦瑠璃さんにとっては、勉強に集中することができて良かったのでしょうね。

そして高校は神奈川県内でもトップクラスの湘南高校に進学し、高校卒業後は東京大学理科一類に進学しました。

そして3年時には農学部を専攻することになります。

その後、東京大学大学院公共政策学教育部(公共政策大学院)専門修士課程を修了、そして東京大学大学院法学政治学研究科総合法政専攻博士課程を修了し、法学の博士号を取得しています。

三浦瑠璃さんは国際政治学者なので、てっきり完全に文系なのだと思っていましたが、農学部出身だったのですね。

それだけ多岐に渡る才能を持った優秀な人物だったということが分かります。

博士号を取得してからも政治や憲法などの知識をさらに吸収し、現在の日本の政治や憲法などの問題点を的確に指摘できる国際政治学者として活躍するようになりました。

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三浦瑠麗の若い頃が壮絶~性被害という経験~

三浦瑠璃さんは自伝書「孤独であることも、女であることの味わいも」を出版しています。

そこには壮絶な事件について綴られていました。

なんと、三浦瑠璃さんが14歳の時に、性被害に遭われていたのです。

小説を読みながらの、中学校の帰宅途中に不良グループに襲われました。

あまり覚えていない。覚えているのは痛みと、死ぬのだろうな、という非常にリアルな感覚だけだ。

私の頸に手をかけたそのうちの一人ののっぺりとした眼つきが醜くて気持ち悪く、せめてもっと楽な死に方をさせてもらいたかった。

少なくとも一人は知っている顔だったと思う。

殺風景な新幹線の高架下で、ほらよ、と放り出されて、私はバッグとスカーフを胸に抱えて家までよろよろと歩いた。

自分がどんなにぼろぼろでも、いつも通りの田舎の風景は微塵も私の心に寄り添ってはくれなかった。

現在の三浦瑠璃さんの姿からは想像も出来ませんが、その当時は三浦瑠璃さんも相当悩んだそうです。

このまま自分がこの世から消えてなくなる方が良いのではないか?

自分に非があったので、被害を受けたのではないか?

このまま、一生苦しみながら生きていかなければならないのか?

本当に苦しかったのでしょうね。

何ともいたたまれない気持ちになり、もし自分の娘が同じような被害に遭ったらと考えると・・・言葉を失います

そして三浦瑠璃さんは様々な感情をひきずりながら、東京大学に進学することになりました。

そこで出会った、現在のご主人である三浦清志さんにそのことを打ち明け、今までの悩みを解決させてくれたそうです。

そして、同じように悩んでいる被害者にも、決して悩む必要はないと語っています。

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三浦瑠麗の若い頃が壮絶~子供を亡くすという経験~

先ほども触れた三浦清志さんは、東京大学の先輩でした。

二人は出会ってから約1年という交際期間を経て、2003年に結婚しています。

三浦清志さんは2002年に外務省に入省しており、結婚してからは経済的にも三浦瑠璃さんのことを助けていたのでしょうね。

そして、結婚してから7年経過した2009年に第一子を切迫早産で亡くすという経験をされています。

三浦瑠璃さんはちょうどその頃、博士論文の追い込み作業中でした。

しかも、新居に引っ越すための準備なども行っていたようです。

それらの無理がたたり、三浦瑠璃さんの体は悲鳴を上げていたのでしょうね。

三浦瑠璃さんはあれこれと頑張り過ぎたことを反省しており、人生の中でで一番つらかった経験だと語っています。

子供を亡くす母親の気持ちを考えると、本当に壮絶な経験をされたのだと感じさせられますよね。

その経験は、一生忘れることの出来ないことではありますが、2012年には無事に長女を出産しました。

三浦瑠璃さんは長女のことを溺愛しており、SNSにも長女の画像を度々あげています。

ちなみに三浦清志さんは、日本人とアメリカ人のハーフなので、長女はクオーターということになり、さぞかし可愛らしいルックスなのではないでしょうか。

しかも両親が東大という血も引き継いで、さぞかし勉強もできるのでしょうね。

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おわりに

三浦瑠璃さんは人生の壮絶な経験を乗り越えて、現在でも頑張っているということが分かりましたね。

逆に、強いハートを持った三浦瑠璃さんだったからこそ、壮絶な経験を乗り越えられたのかもしれません。

そしてそれらの経験が、あのテレビで見る肝の据わった態度を裏付けているということも分かりました。

様々な経験をされてきたからこそ、その言葉にも重みがあるのでしょうね。

なにはともあれ、素敵な旦那さんと、可愛い娘に恵まれたということで、人生がかなり救われたのではないでしょうか。

今後もかなり忙しい日々が続くとは思いますが、決して頑張り過ぎないように活躍して欲しいと思います。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!

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