清塚信也の姉もバイオリニストで活躍!母親のスパルタのおかげ?

   

ピアニストの清塚信也さん。

トーク力も抜群で、コメンテーターとしても活躍していますね。

普通のコメンテーターとして認識している人も多いのではないでしょうか。

そんな清塚信也さんのピアニストとしての実力は相当高く、お姉さんもバイオリニストとして活躍されています。

姉弟そろって一流の音楽家になるためには、それなりの環境や努力が必要だったと思います。

そして一番大切なのが教育ですよね。

今回はそんな清塚信也の母親のスパルタ教育が壮絶だったという噂について調べていきたいと思います。

それでは早速、見ていきましょう!

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清塚信也がピアニストになるまで

清塚 信也(きよづか しんや)さんは、1982年11月13日に日本人の父親と韓国人の母親のもとに誕生しました。

その後両親が離婚し、清塚信也さんは2歳年上の姉と共に、女手一つで育てられることになります。

母親の順子さんは、クラッシックが大好きで、普段からクラッシックを流していました。

そんな順子さんも幼い頃からピアニストやバイオリニストに憧れていましたが、親から反対されたため、その夢をあきらめたそうです。

そのような苦い経験から、自分の子供たちには音楽を学ばせたいという強い思いがありました。

そして、姉にはバイオリンを、清塚信也さんにはピアノを習わせることになります。

清塚信也さんが5歳の時から、姉の通っていた桐朋学園の「子供のための音楽教室」についていき、姉のレッスンを見ていたそうです。

そこで自然と絶対音感を身に付け、ドイツ語で音楽用語を覚えていきました。

もともと音楽の才能を持っていたという証拠ですよね。

小学校に進学してからは野球選手に憧れながらも、ピアノのレッスンを続けていました。

そして小学校6年生の時には、プロのピアニストになることを決意します。

中学生になってから初めて受けたコンクールでは予選落ちしてしまい、そこからピアノに対する考え方を改め、練習量を大幅に増加させました。

その結果、1996年の第50回全日本音楽コンクール全国大会中学の部で1位になってしまいます。

予選落ちという実力から、1位になるという伸びが異常ですよね。

いくら練習量を増やしたからといって、普通の人では絶対に無理だと思います。

その才能はさらに磨かれ、桐朋女子高等学校音楽科(共学)を首席で卒業しました。

その後、桐朋学園大学に進学しますが、自分の方向性に悩んだ清塚信也さんはモスクワ音楽院に留学します。

しばらくは自分の方向性やピアノへの取り組み方に悩んでいましたが、その後数々の賞を受賞するまでになりました。

様々な葛藤があったがゆえに、答えが見つかったあとの活躍ぶりが凄いですよね。

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清塚信也さんの姉はバイオリニストとして活躍!

清塚信也さんの姉は清塚美耶とおっしゃいます。

幼い頃よりバイオリンを習い、「毎日学生音楽コンクール東京大会 高校の部」で入選した実績があります。

桐朋学園大学バイオリン科を卒業し、プロのバイオリニストとして活動しています。

清塚信也さんのコンサートにもゲスト出演したりと、姉弟の仲の良さがうかがえますよね。

清塚信也さんにとっては、姉の存在がなければ、ピアニストとしての現在の活躍は無かったのかもしれません。

清塚美耶さんにとっても、これほど有名になった弟を持ったことを誇らしく思っているのでしょうね。

今後も徐々に表舞台で活躍してくれるのかもしれません。

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清塚信也の母親のスパルタ教育が壮絶?

清塚信也さんはテレビなどで、母親からスパルタ教育を受けていたことを語っています。

とにかくピアニストになることだけを目標に掲げ、生活の全てがピアノ中心という生活ぶりでした。

もちろん、息子に対して厳しく接しますが、母親の協力ぶりも半端ありません。

そんな母親からは「ピアニストにならないのなら、生きなくていい」といわれていたそうです。

少々物議をかもしだしそうな発言ですが、幼い子供にとっては、単純にその言葉を受け入れるしかありませんよね。

その言葉が完全にインプットされた清塚信也さんは、小学校6年生の時にプロのピアニストになることを決意しましたが、「ピアノで食べていけなかったら野垂れ死にするしかない」と本気で考えていたようです。

子供にそこまで追い込ませるということは、母親としても非常に辛かったはずですが、そこまでしないとプロとしては活躍できない世界なのでしょうね。

母親は清塚信也さんには、ピアノの練習に集中させるために、外で遊ぶことを一切禁止していました。

また、ピアノの練習を優先させるために、学校を早退させることも度々あったそうです。

さすがにそのような学校生活を続けていると、イジメられかねないと考えた母親はPTA会長になり、学校での活動も積極的に参加するようになります。

毎日息子と登校し、周りの子供たちとも積極的にコミュニケーションを取ったそうです。

時には、教室の掃除をしたり、学校での行事にも率先して参加しました。

そんな母親の行動を見ていた周囲の親御さんや先生方も、次第に理解を示すようになっていったそうです。

息子たちにだけ厳しくするのではなく、自分の身を削って、その行動を示すという、しっかりとした考えに基づいたスパルタ教育だったのですね。

とはいえ、母親の厳しい教育方針には、姉弟とも比較的素直に従い、母親は特に子育てで苦労は無かったと語っています。

姉弟二人だったから良かったのかもしれませんね。

もしひとりっ子だとしたら母親のプレッシャーに押しつぶされかねません。

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↓映画『さよならドビュッシー』予告編

おわりに

清塚信也さんがプロのピアニストになれたのは、母親の影響が一番大きかったことは事実です。

しかし、そもそもの才能が無いと、いくら努力してもプロにはなれません。

才能があり、それを伸ばす環境と素直に頑張った清塚信也さんの性格によって、ピアニストとして大成することが出来ました。

さらには、2013年に公開された映画「さよならドビュッシー」にて俳優デビューも果たしているなんて凄すぎます!

そして、コメンテーターとしてのコメントの面白さにも感心してしまいますよね。

最初は本当に清塚信也さんのことを、いちコメンテーターだと思っていたのですが、素晴らしいピアニストだったことに驚きです。

ほかにも有名な音楽家たちがいますが、皆さんコメント上手な方が多いですよね。

音楽の才能と、コメント力の高さというのは、どこかでつながっているのかもしれません

清塚信也さんの今後の活躍も心より応援しております。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!

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