松井裕樹は高校時代に奪三振甲子園記録樹立したけどその後の活躍は?
2018/11/09
今年も高校野球真っ盛りの季節になりましたね。
松井裕樹さんの母校である桐光学園は神奈川県北地区予選大会の決勝で惜しくも敗退してしましました。
夏の甲子園といえば、松井裕樹さんの奪三振記録が今でも強烈に記憶に残っていますね。
もう5年以上が経過していますが、今回はそんな松井裕樹さんの活躍ぶりを調べてみました。
松井裕樹さんの少年時代
1995年10月30日生まれ、神奈川県横浜市出身。
身長174㎝ 体重74㎏
小学校2年から地元の少年野球チーム「元石川サンダーボルト」にて野球を始めました。
横浜市立山内中学校に進学後は「青葉緑東シニア」に所属し、3年生で夏のの全国大会では優勝に輝きました。
体格的には決して恵まれている方ではないのですが、肩の上から真っすぐに投げ下ろす投球にはかなりの威力があり、中学生にしてその頭角を現していました。
松井裕樹さんの顔は元々幼い感じですが、小中学生の頃の写真はさらに可愛らしい顔つきで、ここまでの大投手になる雰囲気を感じさせませんよね。
松井裕樹さんの高校進学
中学時代に大活躍を見せた松井裕樹さんには、数多くの全国の高校からのスカウトが集まることになります。
神奈川県といえば全国屈指の強豪校がそろった地域で、名前を挙げるとキリがありません。
そんな中、松井裕樹さんが選んだのは桐光学園でした。
ほかの強豪校はいわゆるスパルタ方式で、自分の力をいかんなく発揮できる環境としては、桐光学園が最高の場所であると考えたようです。
スパルタじゃないとはいえ、松井裕樹さんよりもおよそ20年先輩の私の時代には、桐光学園の野球部の練習もかなり過酷だったイメージがあります。
しかも野呂監督はまだ若く、筋肉隆々で恐かったですが、かなりのイケメンだったのを覚えています。
話は逸れましたが、20年も経てば、野球部の雰囲気もかなり変わっていたのかもしれません。
先輩たちとも、わき隔てなく接している大会前のインタビューが印象的で、松井裕樹さんも比較的自由な野球生活を送れていたのですね。
松井裕樹さんと甲子園記録
松井裕樹さんは高校1年の時からエースとして活躍していました。
高校1年生の夏の神奈川県予選では惜しくも決勝で敗退してしまいました。
そして、2年生の夏の甲子園で、歴史を刻むこととなります。
初戦の今治西戦で、大会史上初の10連続三振と1試合22奪三振という甲子園記録をうち立てました。
松井裕樹さんの活躍ぶりに大興奮を覚え、その試合の録画を10回以上見ながら、校歌を熱唱していたのを覚えています。
松井裕樹さんの活躍も凄かったのですが、相手選手も少し可哀想でしたね。
その後も奪三振記録を伸ばし、1大会通算68奪三振という、甲子園史上歴代3位という記録を残しました。
準々決勝で敗れた際には、松井裕樹さんは先輩がたに申し訳ないと大号泣してしまい、こちらまで涙が止まりませんでした。
3年生の夏の神奈川県予選では、松井選手に対する分析が凄く、準々決勝で敗退しましたが、桐光魂を全国に知らしめてくれたことに本当に感謝しています。
松井裕樹さんとプロ野球
2013年のドラフト会議では、松井裕樹さんは注目のまとでした。
私にとって中高とも同じ松井裕樹さんには、個人的にも是が非でも、北海道日本ハムファイターズへの入団を希望していたのですが、残念ながら楽天イーグルスへの入団が決まってしまいましたね。
プロ野球に入った松井裕樹さんさは、武器であるスライダーにますます磨きをかけ、プロ1年目は先発として活躍し、それ以降は主にストッパーとして活躍されています。
今シーズンもバリバリと活躍していますが、シーズン終了後に女優の石橋杏奈さんとの挙式をハワイで行うそうですね。
プロでも成功を収め、綺麗な奥さんをゲットし、順風満帆の人生を謳歌している最中ですが、まだまだ若いので、今後の活躍も楽しみですね!
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おわりに
少年時代から野球に切磋琢磨し、高校野球では大記録を樹立、そしてプロでも大活躍の松井裕樹さんには非の打ちどころがありませんね。
そして、人生で大きな節目となる結婚生活がこれから始まりまね。
松井裕樹さんは、なんとなく甘えん坊のような気がするので、姉さん女房に一杯甘えて、野球に専念してもらいたいと思います。
今後、日本の野球界を背負っていく人物の一人になることは間違いないので、体調管理には気をつけて頑張ってください。
松井裕樹さんの今後のご活躍も心より応援しております。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!