松田美由紀の若い頃が凄い!松田優作とW不倫の末に略奪結婚した?
2019/11/15
女優や写真家として活躍している松田美由紀さん。
ほかにも様々な活動に精力的に取り組んでいるようです。
現在では息子の松田龍平さんや松田翔太さんの活躍が目ざましく、松田美由紀さんにとっても一安心なのでしょうね。
そんな松田美由紀さんは若い頃に松田優作さんと結婚しましたが、どうやら普通の結婚ではなかったようです。
そこで今回は、松田美由紀さんと松田優作さんの馴れ初めから、結婚にいたるまでを調べていきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
松田美由紀さんの経歴は?
松田(旧姓:熊谷) 美由紀(まつだ みゆき)さんは1961年10月6日生まれで、東京都杉並区の出身です。
実家は婦人用の洋服店「熊谷商店」を経営しており、松田美由紀さんは3人姉妹の末っ子として育てられてきました。
芸能人オーラに包まれていた松田美由紀さんは中学生の頃から、様々な芸能事務所からスカウトを受けることになります。
そして、中学校3年生のある時には、1日で5回ものスカウトを受けたことがありました。
その後もスカウトが続き、高校に進学したころに、やっとスカウトを受け入れ、芸能界入りすることになります。
当初はモデルとして活動を始めていましたが、松田美由紀さんはモデルという仕事が嫌いになり、役者の世界に興味を持つようになります。
その頃すでに女優として活動していた熊谷真実さんの舞台稽古を見学することになり、そこで演出家の「つかこうへい」さんの目に留まることになります。
そして、1979年に放映された映画「金田一耕助の冒険」にて、女優デビューを果たすことになりました。
しかもその作品でヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞してしまいます。
「つかこうへい」さんが一目惚れするだけのことはありますよね。
プロの目から見ても、一目で松田美由紀さんの持つオーラの凄さに圧倒させられたのかもしれません。
その後も数々の作品に出演することになり、人気女優の仲間入りを果たしていきました。
そして、結婚出産で育児の忙しくなった松田美由紀さんでしたが、1991年から本格復帰を果たすことになります。
現在では写真家としての活動を行いつつも、ボランティア活動や、平和活動に従事するようになりました。
以上のように、さらっと松田美由紀さんの経歴を紹介しましたが、実はその間には、壮絶な人生模様が繰り広げられていました。
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松田優作さんの経歴は?
個性派俳優として活躍されていた松田優作さん。
時は流れ、若い人たちの間ではその存在を知らない人たちも多いのではないでしょうか。
そこで、まずは松田優作さんの簡単な経歴から紹介しますね。
松田優作さんは1949年9月21日生まれで、山口県下関市の出身です。
母親は在日韓国人で、日本人の父親には妻子がいる状態という、複雑な環境で育つことになります。
松田優作さんは、自分の出生に次第に孤独感を感じるようになっていきました。
高校まで下関の学校に通っていましたが、その気持ちを察した母親が、松田優作さんにアメリカで弁護士資格を取得し、最終的にはアメリカ国籍を取得することを勧めます。
そして、1967年の高校2年生の時に松田優作さんはアメリカのカリフォルニア州にあるシーサイド高校に転校することになります。
しかし現地での人間関係や、言葉の壁にぶつかった松田優作さんは、母親に内緒で日本に帰国し、都内の高校で卒業資格を取得し、1970年に関東学院大学文学部に入学しました。
大学入学後は俳優を志し、劇団に所属することになります。
そして、俳優活動に専念するために、1972年には大学を中退しました。
松田優作さんの個性的な演技力が評価されるとともに、運にも恵まれ、刑事ドラマ「太陽にほえろ」では1973年にジーパン刑事としてレギュラー出演することになりました。
この作品が松田優作さんの出世作になるとともに、代表作品ともなりました。
松田優作さんの殉職シーンはあまりにも有名で、今でも真似をする人が多くいます。
そこからは完全に日本を代表する俳優の一人として活躍の場を広げ、晩年にはアメリカの映画「ブラック・レイン」に出演し、ハリウッドデビューを飾ることになります。
しかし、その時すでに松田優作さんの体は癌におかされていました。
映画の撮影に専念するために、癌の治療は拒み続けることになります。
その結果、癌は進行してしまい、1989年11月6日に40歳という若さで、この世を去ることになってしまいました。
俳優としての人生を全うできたということは、本人にとっては悔いの無かったことだと思います。
しかし、当時幼い3人の子供たちを残して、この世を去るということに対しては、ぶつけようのない怒りも感じていたのではないでしょうか。
松田美由紀さんと松田優作さんの馴れ初めや子供たちは?
松田美由紀さんは女優としてデビューから間もない1979年に放送されたテレビドラマ「探偵物語」で松田優作さんと出会うことになります。
そして徐々に二人の距離が近づいていき、恋愛に発展してしまいました。
その当時、松田優作さんは30歳で、1975年に劇団で知り合った美智子さんと結婚し、女の子も一人いました。
一方の松田美由紀さんは18歳でしたが、すでに結婚ており、旦那さんがいたのです。
いわゆるW不倫という形となってしまいましたが、娘のいた松田優作さんは、奥さんの美智子さんと離婚する気は無かったようです。
しかし、松田美由紀さんは松田優作さんと別れるつもりはありませんでした。
松田美由紀さんは何度も松田優作さんに対して、自分との結婚を迫ります。
そのたびに、松田優作さんからは結婚を断られ、松田美由紀さんは窮地に追い込まれることになってしまいました。
このまま、二人で話し合っていても埒が明かないと悟った松田美由紀さんは、松田優作さんの自宅に乗り込みました。
そして、美智子さんと娘さんの前で松田美由紀さんは手首を切ったそうです。
その時、松田優作さんは、自分がこの世からいなくなれば、この問題は解決するのではないかという、短絡的な思考が芽生え、行動に移そうとしました。
しかし、娘のことを考えた松田優作さんは踏みとどまり、美智子さんとの離婚協議に入ることになります。
結果的に美智子さんとは1981年に正式に離婚が成立し、1983年に松田美由紀さんとの再婚を選びました。
松田優作さんと松田美由紀さんとの間には3人の子供に恵まれ、幸せな家庭生活を営んでいた矢先の1989年11月6日に、松田優作さんは急逝してしまいました。
その後、松田美由紀さんは女優復帰を果たし、育児と仕事の両立をこなし、3人の子供たちを立派に育て上げることになります。
一概に誰が悪かったとは言い切れませんが、何となく切なくなるようなお話ですよね。
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おわりに
どんなミステリアスなドラマにも敵わないような、松田優作さんを取り囲む壮絶な人生ドラマですよね。
そして、松田美由紀さんの女の意地の強さにも驚かされます。
松田優作さんが亡くなった後も、女手一つで3人の子供たちを育て上げたということも本当に凄いことだと思います。
子育てが終わってからは、様々な活動にも積極的に携わり、自分の人生を謳歌しているようですね。
あとは、自分の人生に対する償いの気持ちもあるのでしょうか。
今後も、様々な想いを抱きながら生きていくことになるとは思いますが、健康管理には注意して頑張ってもらいたいと思います。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!
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