稀勢の里 怪我の病名や原因は?引退発表に追い込んだ連敗の理由

   

貴乃花が引退し、日本人力士不在から14年ぶりに横綱に昇進した稀勢の里

待望の日本人横綱誕生に日本中が沸きましたが、稀勢の里のガチンコの相撲スタイルで怪我に悩まされることになります。

その妥協を許さない取り組みには、日本中のファンが大いに盛り上がりました。

そして、日本人横綱の引退発表には多くの惜しまれる声が集まっています。

今回はそんな稀勢の里を苦しめた怪我の病名や原因について解説していきたいと思います。

それでは早速、見ていきましょう!

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稀勢の里の相撲スタイル

稀勢の里の相撲の特徴は

左を制することで相手を崩す。

相手の崩れ方に応じてそのまま突き進んでも良いし、右上手を取ることで動きを封じ、確実に勝つことを選択しても良い。

と言われています。

そして、稀勢の里といえば、「昔ながらのお相撲さん」と称されています。

勝っても負けても口数が少なく、自分の感情を押し殺し、近づきがたいオーラのようなものを感じさせられる力士でした。

稀勢の里の相撲に取り組む姿勢は、頑ななまでに真っすぐで、貴乃花を思わせるようなガチンコ相撲で人気を博していました。

チャラついた考え方が嫌いで、それが稀勢の里の相撲スタイルを作り上げていきます。

一方で、メンタル面にやや弱さがあることを指摘されていた稀勢の里だからこそ、自分を律することで、それに打ち勝とうとしていたのかもしれません。

横綱になってからはさらにその職人気質ぶりに拍車がかかり、怪我の完治を待たずに土俵に向かっていくことになりました。

日本人横綱としての責任感や使命感が、稀勢の里を逆に追い詰めた結果となってしまいましたね。

しかし、それを曲げないのが稀勢の里であり、それが稀勢の里の生きざまだったのです。

まさに、昔ながらのお相撲さんですよね。

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稀勢の里の怪我の病名や原因は?

2017年3月の春場所

2017年1月に横綱に昇進した稀勢の里は、春場所が横綱昇進後の初めての場所でした。

12日までは順調に勝ち星を積み重ねていましたが、13日目に大怪我に見舞われることになります。

対戦相手の日馬富士に寄り倒され、左胸と左腕を負傷してしまいました。

落下した土俵下では、あの寡黙な稀勢の里が声を上げて痛がりました。

稀勢の里にとっては、今までに経験したこともないような、とんでもない痛みだったのでしょうね。

病名は「左大胸筋損傷」および「左上腕二頭筋損傷」です。

原因は、稀勢の里が倒れた際に、左肩を地面に勢いよくぶつけてしまったことです。

170㎏を超える体重が一気に左肩にのしかかり、大怪我になってしまいました。

翌日からは休場になると危ぶまれていましたが、土俵上には怪我に不安を抱えつつも肩にテーピングを施した稀勢の里の姿がありました。

14日目の鶴竜戦では一方的に寄り切られ、2敗目となった稀勢の里は、1敗の照ノ富士に逆転されてしまいます。

千秋楽では照ノ富士との直接対決が待っており、優勝するためには連勝するしかありませんでした。

そして、照ノ富士に連勝した稀勢の里は、横綱昇進後の初めての場所で見事に優勝を飾っています。

怪我の状態からしても、稀勢の里の優勝はほぼ絶望的だと思われていましたが、奇跡の大逆転劇を演じてしまいました。

優勝インタビューでは、稀勢の里は涙を流しながら答えており、日本中が稀勢の里フィーバーに盛り上がります。

しかし、この無理がたたり、その後も稀勢の里の本来の調子が戻ることはありませんでした。

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2017年3月の春場所後

・2017年5月の夏場所

3場所の連続優勝のかかっていた稀勢の里は、左腕の怪我の完治を待たず、夏場所に臨むこととなります。

稀勢の里は本来の力を出し切れず、6勝4敗という成績で11日目から途中休場してしまいました。

・2017年7月の名古屋場所

左腕の怪我は、この名古屋場所でも完治していませんでした。

しかも、その怪我をかばった為か、また別の部位を怪我してしまいました。

5日目の「左足関節靱帯損傷」により、6日目から途中休場となってしまいました。

・2017年9月の秋場所

秋場所は初日から休場し、怪我の治療に専念することになりました。

なお日本相撲協会には「左の上腕筋と大胸筋の損傷で約1カ月の安静を要す」との診断書を提出しています。

・2017年11月の九州場所

九州場所では、4勝5敗という成績で、10日目から途中休場となってしまいました。

なお日本相撲協会には「腰部挫傷・左足前距腓靱帯損傷で約1か月の安静加療を要す」との診断書を提出しています。

怪我をかばえばかばうほど、ほかの部位に支障をきたし、満身創痍となってしまいました。

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2018年の各場所

・2018年1月の初場所

初場所では、1勝4敗という成績で、6日目から途中休場となってしまいました。

・2018年3月の春場所後

1年前の2017年3月の春場所で痛めた左胸・左腕の療養のために、初日から休場しています。

・2018年5月の夏場所

夏場所も初日から休場し、横綱として7場所連続の休場となってしまいました。

なお日本相撲協会には「左大胸筋痛で約1カ月激しい運動を制限する」との診断書を提出しています。

・2018年7月の名古屋場所

稀勢の里の本来の相撲勘が戻らないとの理由から、初日から休場しています。

・2018年10月の秋場所

満身創痍のなか臨んだ秋場所では、10勝5敗という成績に終わりました。

場所中に「最低限クリアすべき一山は越えた」と報じられています。

・2018年11月の九州場所

秋場所での復活の兆しから、九州場所では完全復活なるか?と期待されていました。

しかし九州場所では、初日に膝を痛めてしまい、初日から4連敗してしまいました。

そして、5日目から途中休場となってしまいました。

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2019年1月の初場所

そして臨んだ2019年の初場所では、初日から3連敗し、稀勢の里は現役からの引退を決めました。

横綱在位12場所で皆勤はわずか2場所でした。

そして、横綱としての通算成績は36勝36敗97休というものでした。

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稀勢の里を引退発表に追い込んだ連敗の理由

稀勢の里を引退発表に追い込んだ連敗の理由は、元をたどると2017年3月の春場所に負った大怪我です。

しかも稀勢の里の特徴である、左の攻めを封じ込めてしまうという怪我だったのです。

その後も怪我が怪我を呼び、最悪の状態となってしまいます。

もしあの時、14日目から途中休場して、怪我の治療に専念していれば、連敗や休場がもう少し減っていた可能性もあり、まだ引退とはなっていなかったのかもしれません。

責任感の強い稀勢の里だったからこそ、その相撲スタイルを変えようとはせずに、14日目以降も強行出場してしまいました。

そこで、奇跡の逆転優勝という名場面を描けたというところまでは良かったのですが、その後の相撲人生を賭けての勝負に挑んだという相撲スタイルには、少々もったいない気もしますよね。

それが稀勢の里の生きざまと言ってしまえばそれまでなのですが・・・

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おわりに

稀勢の里の横綱昇進に関しては、日本相撲協会に対する批判もあります。

しかし、稀勢の里が横綱に昇進する前には、休場は1回しかありません。

稀勢の里は体が丈夫で、怪我とはほとんど無縁の力士でした。

横綱になってからの稀勢の里は、怪我で悩まされ、連敗や休場のイメージが強くなってしまいまいましたが、横綱昇進には何の関係もありません。

しいて言うならば、久々に誕生した日本人横綱という強い使命感を背負わされてしまったがゆえに、怪我を悪化させてしまったことでしょうか。

また、横綱にさえ昇進していなければ、まだまだ息の長い力士として活躍していたのかもしれません。

横綱としての通算成績を批判する論調もありますが、むやみに批判することは簡単です。

横綱になるだけでも凄いのに、横綱昇進後の初土俵で優勝を成し遂げたという偉業をむしろ褒めたたえるべきですよね。

引退を決めた稀勢の里には、とりあえずはゆっくりと休んで怪我を治してもらい、後進の育成に励んでもらいたいと思います。

本当にお疲れ様でした。

稀勢の里の今後の活躍も心より応援しております。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!



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