坂上忍 飲酒運転で逮捕歴あり?子役からバイキング起用までを検証
2018/11/09
現在では様々なバラエティー番組で大活躍し、バイキングの顔として定着した坂上忍さん。
そんなお昼の顔の裏側に逮捕歴という黒歴史がありました。
今回は坂上忍さんが子役から叩き上げられ、こんにちに至るまでを徹底検証してみました。
それでは早速、見ていきましょう!
坂上忍の子役時代
今でこそ、その顔を見たことが無いというひとのほうが少数派なくらい有名な坂上忍さん。
実は子役時代も圧倒的な人気を博していました。
4歳年上の兄が劇団に所属しており、その影響から坂上忍さんも1970年、3歳の頃から劇団若草に所属しました。
その後1972年にテレビドラマで子役としてデビュー。
その後も数々のドラマに子役として出演し、子役ブームの先駆者として全国的に名をはせることになり、国民的子役としてその地位を絶対的なものにされました。
その一方で、有名になればなるほど、学校でのいじめもエスカレートし、坂上忍さんは自殺を考えるようになります。
また、父親の会社が倒産に追い込まれ、多額の借金を抱えることとなり、借金の取り立てに連日暴力団が自宅へ押しかける環境で育ちました。
坂上忍さんは家の借金返済の為、中学までで辞める予定だった俳優業をその後も続けることになります。
普通のではありえない環境で育ち、幼少期から青年へと成長した坂上忍さんの下地はここで築かれたのですね。
坂上忍さんは、芸能界の裏側の見たくない大人の事情なども数々目の当たりにした。
坂上忍さんは私より少し年上だけど、そんな環境で良く生き抜いたと思います。
そんな逆境にも打ち勝つ精神力が養われ、今の坂上忍さんが形成されたのでしょう。
坂上忍の逮捕歴
1995年1月14日深夜、坂上忍さんは、自家用車で飲酒運転の末、道路脇の電柱に激突し、その場から逃走してしまいました。
結局は駆けつけたパトカーに追跡され、酒気帯び運転で現行犯逮捕されることとなります。
その後半年間の謹慎生活を送ることを余儀なくされました。
今では飲酒運転に対する罰則も強化され、今の罰則に照らし合わせると、半年の謹慎処分では済まない事件でしたね。
1995年だと、私の感覚ではそれほど古い話ではないように感じ、
よくぞここまで復活出来たなと思います。
これぞ、成長期に身に付けた反骨精神?
元々持っていた要素も大きいと思いますが、坂上忍さんの凄さを改めて感じました。
坂上忍のバイキング抜擢
お昼のお化け「番組笑っていいとも!」が2014年3月31日に終了しました。
翌日4月1日からフジテレビの新番組
「バイキング」が新しいお昼の顔として誕生しましたね。
坂上忍さんはバイキングの月曜日担当MCとして抜擢され、攻めの姿勢で務め上げました。
その姿勢が評価され、翌年からバイキングの総合司会へと抜擢されることになります。
番組開始からは視聴率もパッとせずに、打ち切りの噂が流れていました。
「笑っていいとも!」の存在が大きすぎた、という言い訳をはねのけ、坂上忍さんは今や、お昼の顔に定着されましたね。
私も「笑っていいとも!」世代だったので、「笑っていいとも!」終了後の、
お昼の番組が完全に無くなってしまった!
という気持ちが今でも忘れられない。
しかし今は、昼休みについついバイキングをみている自分に気が付きました。
特に意識していなかったのですが、自然とバイキングを視るようになっていましたね。
そこで改めて、司会者としての坂上忍さんに対して、好感ではないと思いますが、何か惹かれるものを感じます。
というか、司会回しがうまいし、「テレビの裏側も知り尽くしているな~」
と端々に感心の念を抱かされます。
特に野々村真さんイジリが面白い!
コメンテーターにもガンガン意見するし。
今後も私のお昼はバイキングで定着です。
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まとめ
坂上忍さんといえば、嫌われているとの意見もありますが、結局のところ、残ったものの勝ちですね。
生半可な人生を歩まなければ、ここまでの人物にはなれない。
そもそもの生まれ持った資質も大きいとは思いますが…
普通の人間には真似出来ないし、足元にも及ばない。
そんな坂上忍さんの今後のご活躍も心から応援しております!
バイキングが終わると困るし。
ここまで読んでいただき
誠にありがとうございました。