新津春子は結婚して夫や子供はいるの?プロフィールや経歴も紹介

      2019/07/03

羽田空港のカリスマ清掃員として活躍する新津春子さん。

マスコミでも取り上げられ、世界から注目を集めるようになりました。

しかし、そこにいたるまでの道のりは決して楽なものでは無く、波乱万丈な人生を歩んできました。

そんな新津春子さんには夫や子供はいるのでしょうか?

そこで今回は、新津春子さんのプロフィールや経歴について紹介していきたいと思います。

それでは早速、見ていきましょう!

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新津春子のプロフィールや生い立ちは?

今では日本で平和に生活している新津 春子(にいつ はるこ)さんですが、実はその生い立ちは壮絶な人生の始まりでした。

新津春子さんの父親は日本人の残留孤児として中国で生活し、現地の中国人女性と結婚しました。

そして1970年に新津春子さんが中国の瀋陽で誕生し、しばらくは中国での生活が続くことになります。

現在でも反日感情の強い中国ですが、日中国交正常化前後の中国の反日感情は、現在のそれとは質の違う壮絶なものでした。

残留孤児の2世である新津春子さんは、完全に日本人扱いされ、現地では相当風当たりの強い生活を余儀なくされたそうです。

そのような過酷な環境で成長した新津春子さんは、自然とハートも鍛えられていったのでしょうね。

その後、1987年に父親の希望により、家族5人で日本に移住することになりました。

日本に移住したことによって、中国での過酷な環境から解放されたと思いきや、その状況は日本でも続くことになります。

17歳で日本に移住した新津春子さんは、日本語を全く話すことが出来ず、中国人として扱われるようになりました。

さらには日本に移住たばかりで、家計も相当苦しかったようです。

そこで、新津春子さんは高校に通いながら、家計を助けるためにアルバイト探しを始めることになります。

しかし、日本語の話せない新津春子さんには、雇ってくれるアルバイト先がなかなか見つかりませんでした。

やっとの思いで見つけたのが清掃員としてのアルバイトだったのです。

清掃員として働くことに希望を見出した新津春子さんは、日本に速くなじむように努力し、仕事にも精を出すことになりました。

ここからが、新津春子さんのカリスマ清掃員としてのスタートになります。

中国で強いハートに鍛え上げられた新津春子さんは、とにかく前向きに日本での生活を頑張ってこられたのですね。

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新津春子の経歴は?

高校を卒業した新津春子さんは、音響メーカーに就職することになりました。

しかし、その仕事の合間を縫って、清掃員のアルバイトは続けていました。

そのうちに清掃に対するやりがいが大きくなり、もっと清掃に対する知識を深めようと感じたそうです。

そのために、清掃員を育成する職業訓練校に通い始め、専門的な知識や技術を積極的に吸収していきました。

そこで出会った鈴木さんという講師が、のちの上司となり、恩師ともいえる存在になります。

そして、1995年の23歳の時に音響メーカーを退職し、日本空港技術サービス(現在:日本空港テクノ株式会社)に入社することになりました。

入社後は鈴木さんからの熱血指導が始まり、新津春子さんはその影響を受け、「清掃という仕事を極めたい」という想いがさらに強くなっていきます。

その翌年の1996年には国家資格である「ビルクリーニング技能士」を取得し、2017年には「清掃作業監督者」という資格も取得しました。

そして、1997年に行われた「全国ビルクリーニング技能競技会」では、史上最年少で優勝という快挙を果たしてしまいます。

恩師による熱血指導の賜物であることは間違いないのですが、新津春子さんの強い向上心がなければ成立しません。

幼い頃からの波乱万丈な人生や、日本語が話せないというハンディを克服してしまうというその根性があったからこその優勝だったのでしょうね。

ある意味、ここまで苦労を重ねてきた人では無いと、なかなかカリスマというレベルに達するのは難しいのかもしれません。

そして現在では、現場での清掃に従事しながらも、「環境マイスター」に就任し、羽田空港全体の環境整備の責任者も務めています。

さらには、後進の育成にも積極的に力を入れており、自分の背中を見せることによって、次世代のマイスターには清掃の何たるかを教えているのでしょうね。

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新津春子は結婚して夫や子供はいるの?

新津春子さんの経歴を見ていると、ずっと忙しく働いており、結婚する暇なんて無いように感じますよね。

しかし、全国優勝した翌年1998年に結婚し、夫がいます。

ところが、そこには新津春子さんの強い決意があったのです。

なんと新津春子さんは、全国優勝を果たしてからではないと、結婚をしないと決めていたそうです。

そう簡単に全国優勝などできるはずは無いと思いますが、清掃に対するそこまでの意気込みがあったのですね。

とはいえ、全国優勝していなかったら、結婚は先延ばしになっていたのかもしれません。

逆に、「愛する夫と結婚するためにも頑張らないといけない!」と自分にはっぱをかけていたのかもしれませんね。

このエピソードを聞いた時、新津春子さんは、どこまで人間力の高い人物なのだろうと感心させられてしまいました。

そしてもう一つ驚かされたのは、清掃という仕事を続けるために、子供を作らなかったということです。

自分が休むことで会社に迷惑をかけたくないという気持ちを強く持っていたそうです。

産休や育休を利用して、後から復帰するという方法もあったとは思いますが、新津春子さんの責任感の強さが、その選択をしなかったのでしょうね。

そこまでしたからこそ、会社で唯一の「環境マイスター」に就任し、カリスマと呼ばれるようになりました。

人の人生なので、何を第一優先に考えるのかは自由だと思いますが、そこまで仕事に熱中できる人生が羨ましいと思います。

仮に子供を作っていたとしても、新津春子さんは、現在のように活躍していたのではないでしょうか。

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おわりに

新津春子さんのもともと持っていた向上心の高さと、様々な過酷な環境を乗り越えてきたという経験が、こんにちの新津春子さんを作り上げました。

どんな困難にも決して負けないで生きていくという生命力の強さも凄いですよね。

そして、天職である清掃という仕事に巡り合い、とことんまで探求するというその勉強熱心な姿には尊敬の念を抱きます。

仮に自分が新津春子さんと同じような境遇に生まれていたら、あっという間に潰れていたと思います。

年齢的にも本当にお元気ですよね。

新津春子さんとはあまり歳が変わらないのですが、あの活力の源がどこから来ているのかが不思議です。

今後は徐々に体も衰えてくると思うので、少し自分の時間を作って休んで欲しいと思います。

しかしおそらくは、その時間も掃除のことに費やしてしまうのでしょう。

今後も世界に誇れる清潔な羽田空港を維持してくださいね。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!



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