ワッキーはサッカーの実力が凄い!相方のヒデも上手かったの?
2019/03/21
有吉さんに「クソすべり芸人」という不名誉なあだ名を付けられたワッキー。
そんなワッキーですが、身体能力は非常に高く、サッカーの実力も凄かったそうです。
ちなみに、相方のヒデさんもサッカーが上手かったのだとか。
今回はおもに、ワッキーについて調べていきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
ワッキーの高校進学
数々の一発ギャグを披露し、すべり続けるワッキーですが、それでも負けない強いメンタルを持っています。
そのメンタルの強さは、お笑い芸人を始める前に培われたものでした。
そんなワッキーは、1972年7月5日に誕生しています。
父親の転勤で、各地を転々としていましたが、中学校1年生から中学校2年生の冬まで北海道釧路市で育ちます。
もともと足の速かったワッキーは、中学時代もサッカー部で活躍していました。
中学校3年生の時には、船橋市立海神中学校に転校したワッキーでしたが、すぐにチームのエースとなり、船橋市の選抜チームに選ばれるほどの実力の持ち主でした。
その実力に目をつけた市立船橋高等学校(市船)サッカー部の監督に見初められ、熱烈なスカウトを受けることになります。
その当時のワッキーは、すでに東京学館浦安という高校に進学することがほぼ決まっていました。
しかし、市船の監督からの誘いを断り切れず、結局は市船のサッカー部に進学しました。
市船のサッカー部と言えば、全国高校サッカー選手権をはじめとする数々の大会でタイトルを制し、全国の高校で最多という記録を持つほどの超強豪校です。
そして、多くのJリーガーを輩出していることでも有名です。
それほどの超強豪校なので、その練習内容は過酷を極め、ワッキーもその洗礼を受けることになります。
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ワッキーのサッカー部入部
市船に進学したワッキーは、ワクワクとした気持ちがいっぱいで、サッカー部に入部します。
しかし、練習初日の監督の鬼のような形相が今でも忘れられないそうです。
少し前までは、優しい笑顔でワッキーに熱烈なラブコールを送っていた監督でしたが、その豹変ぶりに驚かされました。
そこからは過酷な練習が始まりました。
1週間もすると新入生の中では、サッカー部を辞めようという話になり、数名が脱落します。
ワッキーもサッカー部をやめようと悩みましたが、何とか厳しい練習についていき、サッカー部の中でも上位のグループに所属することになります。
そして、普段の練習よりも3倍厳しい「地獄の夏合宿」も乗り越えたワッキーは、自分の限界を自分で決めないと誓ったそうです。
秋になり、全国高校サッカー選手権の予選が始まり、市船は見事に全国大会への切符を手に入れました。
上位グループにいたワッキーでしたが、レギュラーにはなれず、応援団長として、応援に徹することになります。
ちなみに、ワッキーの相方である1年先輩のヒデさんは、そのレギュラーメンバーの中に選ばれていました。
決勝戦では清水商業に敗れ、市船は準優勝という成績で終わります。
「あれだけ練習したのになぜ勝てないんだ!」とワッキーはスタンドで号泣したそうです。
そして、悔しい思いを内に秘め、サッカー部での2年目を迎えることになります。
ワッキーのサッカー部2年目
2年目を迎えたワッキーは、相変わらずの厳しい練習を耐え抜きました。
監督からも怒られ続けましたが、2回目の「地獄の夏合宿」も乗り切ります。
2回目の夏合宿は1年目の時よりも、精神的にも肉体的にも楽に感じることができ、この1年間の自分の成長に驚いたそうです。
そして、2回目を迎えた全国高校サッカー選手権の予選では、ワッキーは、相方のヒデさんとともにレギュラーとして出場します。
しかし、決勝では習志野高校に敗れ、全国大会の出場を逃してしまいました。
この大会で先輩たちと別れることが悲しく、1年生の時よりもさらに大号泣したそうです。
試合で負けたことよりも、先輩たちとの別れが悲しくて泣くところが、ワッキーの優しい人間性を感じますよね。
先輩たちのいなくなったサッカー部では、ワッキーたちが最上級生となり、その中からキャプテンを選ばなければなりません。
監督から「次のキャプテンは誰だ?」と問われた同級生たちは、一斉にワッキーの顔を見たそうです。
ワッキーは、「俺がキャプテンかよ!」と自分にツッコミを入れつつも、キャプテンを引き受けることになりました。
ひょうきんなワッキーは、周囲からの人望も厚く、必然的にキャプテンに選ばれたのですね。
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ワッキーのキャプテンとしての試練
キャプテンとなったワッキーは3年生を迎えますが、監督からはキャプテンとしてのプレッシャーが重くのしかかることになります。
3年生になり1か月ほど経過した練習中に、ワッキーは下半身にしびれを感じるほどの痛みをおぼえ、練習を休ませて欲しいと監督に伝えたところ、凄い剣幕で怒られてしまいまいした。
それ以降、怪我が治ってからも練習を再開せててもらうことが出来ない日々が続きます。
幾度となく監督に練習の許可を求めるワッキーでしたが、監督は頑として認めてくれません。
意を決したワッキーは、頭を丸坊主にして直談判しますが、それでも監督は応じてくれず、逆に反省文を書いて来いと命じます。
それに素直に従ったワッキーは、反省文を提出しますが、何度も突き返されてしまいました。
監督の意図するところがまったく分からず、思い悩んだワッキーは、学校にも行かなくなってしまいます。
そして、その現状から逃げ出そうと考えたワッキーは、北海道に逃げることを決意しました。
上野発の夜行列車のチケットを購入し、列車に乗り込み、発車するのを待っていたワッキー。
と、その直後に、背後から肩を叩かれます。
振り返ると、そこには、ワッキーを迎えに来た監督の姿がありました。
列車から降ろされたワッキーは、自分を迎えに来た監督の姿を見て号泣します。
帰りは監督の車に乗せられ、助手席に座ったワッキーは、監督の取った行動の意味を説明されました。
そこには、監督のワッキーに対するの愛があり、改めて監督のことを尊敬するようになったそうです。
すべてのことを理解し、お互いの絆が深まったところで、翌日の練習から参加することになりました。
ちなみに、逃げようとした時の夜行列車のチケットは、今でもワッキーのお守りとして、部屋に飾っているそうです。
凄い青春ドラマですよね。
そんな経験があったワッキーは、人間的にも大きく成長したのでしょう。
ワッキーのサッカーとの決別
チームに戻ったワッキーは、持ち前のキャプテンシーを発揮して、再びチームを引っ張るようになります。
夏合宿を終えたワッキーは、高校生活最後の全国高校サッカー選手権の予選にレギュラーで出場します。
見事に全国行きの切符を手にした市船は、万全の態勢で全国大会に臨みます。
2回戦まで駒を進めますが、相手は元日本代表の名波浩選手が率いる清水商業でした。
市船は1点リードで試合を進めていましたが、終了間際に同点ゴールを許し、PK戦の末、敗れてしまいました。
翌日の新聞では、試合では敗れたものの、ワッキーの活躍が取り上げられるほどでした。
ここで、ワッキーの高校サッカー生活が終わります。
青春のすべてを捧げたワッキーの生き方は本当に輝いていますよね。
その後、プロを目指し専修大学に進学して、サッカーを続けましたが、膝の怪我でサッカーからの決別を余儀なくされます。
今までの人生をすべてサッカーに捧げ、将来はプロになると決めていたワッキーは、人生を悲観し、大学も中退してしまいました。
一方、相方のヒデさんは、横浜フリューゲルスへの入団が内定していましたが、それを蹴って、芸能活動を始めていました。
その後、失意のどん底にいたワッキーを誘い、お笑いコンビ「ペナルティ」を結成することになります。
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おわりに
ワッキーは壮絶なサッカー人生を歩み、心身ともに鍛え上げられてきました。
しかし、怪我のためにプロになることを諦めましたが、お笑い芸人として活躍することになります。
人生は本当に何があるか分かりませんよね。
怪我さえなければ、ワッキーは確実にプロのサッカー選手として活躍していたでしょう。
少なくとも、その実力はあります。
そして、相方のヒデさんに至っては、横浜フリューゲルスへの入団が内定していました。
二人とも、上手いとかいうレベルではなく、プロとしての実力の持ち主です。
しかし、ヒデさんはなぜ、芸能界に舵を切ったのでしょうかね?
お笑い芸人として、成功を収めたから良かったものの、売れていなかったらどうなっていたのでしょうか。
そんなヒデさんの中では、確固たる自信があったのですね。
二人とも、本当にカッコよい人生を歩んでいますが、今後もさらに活躍してもらいたいと思います。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!