尼神インター渚の高校時代の写真はあるの?元ヤンキーだったのか調査
2018/11/09
2017年に大阪から東京進出を果たしてからも、人気がうなぎのぼりの尼神インター。
ぶりっこキャラの誠子さんのボケに、大阪のチンピラ風情の渚さんの激しいツッコミが定番ですね。
今回はそんな、強面のヤバい空気をかもしだす渚さんについて、高校時代から調べてみました。
尼神インター渚さんの略歴
名前:鹿島 渚(かしま なぎさ)
1984年8月6日生まれ、兵庫県尼崎市出身。
お笑いを目指していた渚さんは、NSCの入学金や授業料を貯めるために、高校卒業後から5年間大工として働いていました。
そしてやっとの思いで、大阪NSC30期生として入学することが出来ました。
見かけによらず(失礼ですが)、芯は真面目な人ですよね。
親に甘えることなく、自分の力でお金を稼ぎ、自分の夢を追いかけるという根性が凄いです。
その後、尼神インターは2007年の9月に結成されました。
当時、相方の誠子さんには中国人のコンビがいたそうですが、ヤバい空気の渚さんに誘われて、恐くて断ることが出来ずにコンビ結成に至ったそうです。
そりゃそうですよね。NSCでは同級生でも、渚さんの方が5つも年上だし、あの風貌で来られたら、単純に身の危険を感じますよね。
少し強引ではありましたが、その後の活動が実を結び、結果オーライということですね。
尼神インター渚さんの高校時代
渚さんは武庫之荘高校(現:兵庫県立武庫荘総合高校)を卒業しました。
在学中にはさぞかし、やんちゃな学生生活を送っていると思いきや、特に目立つことの無い、いたって静かな女の子だったらしいです。
現在とのギャップを隠す為なのか、渚さんは高校時代のことを、多くは語ろうとしません。
むしろ、人生の中で秘密にしておきたい時間っだったのでしょうか?
そんなわけで、渚さんの高校時代の写真や卒業アルバムについても流出していませんね。
もしかしたら、ひととの接点を断ち、写真自体を撮っていなかったのかもしれません。
隠されれば隠されるほど知りたくなりますが、渚さんが触れてほしくない高校時代については、そっとしておいてあげた方が良さそうですね。
そんな渚さんですが、高校卒業後はお笑いの世界に行こうと心に決めていました。
尼神インター渚さんの大工時代
先ほども触れましたが、渚さんはNSC入学のための学費を貯めるべく、大工を5年間も続けました。
なぜ大工という、女性の少ないの特殊な職業を選んだのでしょうか?
おそらく子供の頃から、ものを作ったりすることが好きだったのかもしれません。
その職場で渚さんは様々な体験をし、魂も磨いてきました。
人生で一番好きになったという彼氏に出会ったのも、同じ職場のひとだったと言われています。
高校時代には彼氏はおらず、その彼氏が初めてのひとで、渚さんにとっては後にも先にもその彼氏以上のひとが見つけられないそうですね。
テレビでは下ネタをぶちかます渚さんですが、男性に対しても本当に真面目でシャイな女性なのが分かります。
そして、渚さんの現在のヤンキーキャラもその職場で築き上げられてきました。
まわりは、気性の荒い男ばかり。
そのような世界で生き抜いていくためには、か弱い女性のままでは無理なので、徐々に変貌を遂げていったのでしょうね。
結果的にはそのキャラが、お笑いでの大成功を導くことになりましたが、渚さんの生き方に対して、神様がご褒美をあげたような感じですね。
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おわりに
見た目のキャラクターからは想像もできない、シャイで真面目で動物が大好きという優しい心を持った渚さん。
ケバイ化粧を落とすと、そこには渚さん本来の美貌も持ち合わせています。
今後は女優さんとしての活動も行けるのでは?と思ったのですが、渚さんはセリフを覚えるのが大の苦手らしいので、無理かな~。
お笑いの先輩方からも、一目置かれるような存在なので、今後もお笑い一本で生きていくことでしょう。
将来は、ものすごく優しいお母さんになりそうなので、お仕事の余裕が出来てきたら、旦那さん探しもしてもらいたいです。
渚さんは猪突猛進型なので、一度決めたら結婚もあっという間なのかもしれませんw
尼神インター渚さんの今後のご活躍も心より応援しております。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!