村田諒太の嫁の仕事や実家は?馴れ初めについても解説

      2018/11/09

WBA世界ミドル級王者だった村田諒太選手。

2012年にはロンドンオリンピックで金メダルを獲得しています。

ボクサーにとっては勝つために、すべての管理が万全でなければなりません。

そんな村田諒太選手を支えるお嫁さんはどんな人なのでしょうか?

今回は村田諒太選手のお嫁さんの仕事や実家、馴れ初めにいたるまでを解説していきたいと思います。

それでは早速、見ていきましょう!

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村田諒太選手のボクシングとの出会い

村田 諒太(むらた りょうた)選手は1986年1月12日生まれ、奈良県出身です。

幼い頃からスポーツが得意だった村田諒太選手でしたが、両親の離婚などにより家庭環境が崩壊し、中学生の頃には喧嘩三昧の生活を送るようになっていました。

それを見かねた中学校の担任が、村田諒太選手をボクシングの世界へと導くことになります。

そこで、地元の高校にボクシングの練習に参加させてもらいましたが、あっという間に音を上げてしましました。

そして元の喧嘩に明け暮れる日々に舞い戻ってしまいます。

しかしある時ふと、そんな自分に対して、今の自分の生き方を問いただし、考え改めることになりました

そして、今度は真剣にボクシングに取り組むことを決意します。

中学校3年生だった村田諒太選手は、大阪の進光ボクシングジムに通い、ボクシングの練習に没頭することになりました。

何となくやってみようという考えから、自分自身の本気の気持ちに切り替わったことで、ボクシングに対する本気度が変われたのですね。

高校に進学した村田諒太選手は、そこでも真面目にボクシングに取り組んでいきました。

元々持っていた運動神経と、ボクシングの才能が徐々に開花することになります。

本格的にボクシングを始めてからまだ2年足らずの高校2年生の時には、選抜・総体・国体の高校3冠を成し遂げ、高校3年生の時にも選抜・総体を制してしまいます。

トップレベルのボクサーといえば、幼い頃から徹底的にボクシングを叩き込まれ、何年もの間、厳しい練習に耐え抜くというイメージが強いですよね。

村田諒太選手は、中学3年生からボクシングを始めて、あっという間に高校の頂点に昇りつめてしまいました。

ずば抜けた才能の持ち主だった村田諒太選手は、ボクシングをするタイミングが見事にかみ合った結果ですね。

その後も村田諒太選手の快進撃は続くことになります。

村田諒太選手の金メダル獲得

東洋大学に進学した村田選手は、そこでも実力を遺憾なく発揮し、全日本選手権優勝などの数々の実績を残しました。

しかし、北京オリンピックの出場権を得ることが出来ず、現役からの引退を決めてしまいます。

現役引退後は指導者として活動するために、2008年4月から東洋大学の職員として就職し、ボクシング部のコーチに就任しました。

そして、2009年に起きたボクシング部の部員が不祥事に対して、指導者としての反省を胸にボクシングへの現役復帰を決意しました。

1年半のブランクがありながら、2009年から全日本選手権3連覇を成し遂げていしまいます。

復帰直後に、3連覇は凄すぎますよね。

しかも、東洋大学の名誉の回復という使命感を背負って、現役復帰を考えるなんて、本当に熱いハートの持ち主でもあるということが分かります。

そして、2012年には北京オリンピックのリベンジを果たすべく、ロンドンオリンピックの出場権を獲得し、見事に金メダルに輝きました。

しかも、ミドル級での金メダル獲得は日本人初で、日本の金メダル獲得自体も48年ぶりという、記録ずくめな快挙となりました。

ここでもボクシングに対する気持ちの持ち方が大切だったということが分かりましたね。

やる気スイッチが入るか入らないかで、ここまで顕著に結果が変わるという人もそうそういないと思います。

ここぞというタイミングでやる気スイッチが入った村田諒太選手は、運をも味方につけているのは確実ですね。

その後はプロへ転向し、さらなる活躍を遂げることになりました。

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村田諒太選手の嫁の仕事や馴れ初めは?

ロンドンオリンピックまでの足跡を陰で支えていたのが、村田諒太選手のお嫁さんでした。

村田諒太選手のお嫁さんの佳子さんは、もともと東洋大学の職員として働いていました。

2008年4月から村田諒太選手も東洋大学の職員になっており、職場での飲み会がきっかけで、お付き合いが始まったそうです。

そして、2010年にお二人は結婚されました。

村田諒太選手が現役復帰を果たし、ロンドンオリンピックを目指すという、とても大事な時期に佳子さんの支えがあったのですね。

まさに、勝利の女神様的な存在です。

ちなみに佳子さんの実家は京都で、地元でも有名な名家なのだそうです。

いわゆるお嬢様ですね。しかも京都の名家となると、相当なレベルですよね。

そんなお嬢様をゲットし、金メダルまでゲットしてしまうなんて、村田諒太選手は本当に強運の持ち主です。

そんな佳子さんですが、金メダル獲得後も村田諒太選手の人生に大きく影響を与えてきました。

このままアマチュアの世界で生きていくのか、プロボクサーとして華々しくデビューするかで悩んでいた村田諒太選手は、もちろん嫁の佳子さんにも相談していました。

様々な葛藤に揺れ動いている村田諒太選手を見て、初めはプロボクサーになることを反対したそうです。

佳子さんの反対があり、改めて自分の夢を真剣に考えた直した村田諒太選手にやる気スイッチが入りました!

そして、プロボクサーへの夢に目覚めた村田諒太選手が、改めて佳子さんに相談したところ、佳子さんからのゴーサインが出たそうです。

ボクシングは本当に孤独なスポーツなので、精神的な支柱の存在が大きくなってきます。

そこに、3歳年上の佳子さんが冷静な視点で村田諒太選手のことを観察し、適切なアドバイスを送っていたのですね。

佳子さんの存在無くしては、金メダル獲得も、プロボクサーとしての活躍も無かったのかもしれません。

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おわりに

トンデモナイ運動能力と才能をもった村田諒太選手ですが、大の読書家としても有名です。

心理学や哲学の本を好んで読んでいたそうなので、精神スポーツでもあるボクシングをやっていく上でも、読書が大いに役立っていたのは間違いないですね。

村田諒太選手のすべての行動と考える力に、やる気スイッチが入ると、無敵の村田諒太選手になります。

それを上手にコントロールしている佳子さんと、幼い子供たちと共に、今後も怪我をしないように頑張ってもらいたいですね。

村田諒太選手の今後の活躍も心より応援しております。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!



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