山田ルイ53世の学歴が凄い!引きこもりから嫁や子供を持つ逆転人生!
一発屋芸人として、たびたび名前の挙がる山田ルイ53世さん。
それだけ注目されているということは、一発屋芸人では無いという気もしますよね。
そんな山田ルイ53世さんには、過去に引きこもりという辛い時期がありました。
日本ではまさにいま、引きこもりの高齢化が問題視されていますが、山田ルイ53世さんはそこから這い上がり、今では嫁と子供を持つ幸せな人生を送っています。
今回は山田ルイ53世さんの逆転人生について紹介していきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
山田ルイ53世の学歴は?
山田ルイ53世さんの知名度は高いのですが、まずは簡単なプロフィールから紹介していきますね。
山田ルイ53世さんの本名は山田 順三(やまだ じゅんぞう)さんとおっしゃいます。
1975年4月10日生まれで、兵庫県三木市の出身です。
そんな山田ルイ53世さんですが、漫画やテレビを見る事が禁止という厳格な家庭環境の中で育ちました。
そのため、勉強に明け暮れる日々を送っていた山田ルイ53世さんの成績は抜群に良く、周囲から神童と呼ばれていたそうです。
そして中学受験のために、小学校6年生の夏頃から、本格的に受験勉強に取り組むことになりました。
そして、記念受験のようなつもりで受けた「六甲中学校」に合格してしまいました。
偏差値70以上の超難関校で、学生には難関大学合格を目標に6年間の一貫教育を行っています。
山田ルイ53世さんは入学してからも成績優秀で、中学校1年生の時の三者面談では、先生から「このままだと東大に合格できる」と言われるほどでした。
成績は学年で3番以内をキープし、運動神経も抜群だった山田ルイ53世さんは、学級委員長的な役割も担ってたそうです。
頭の良い人だとは思っていましたが、運動神経も抜群だったのですね。
順風満帆の学生生活を満喫していた山田ルイ53世さんでしたが、中学2年生の夏、あることをきっかけに引きこもり生活が始まります。
その理由は後述しますが、そこからは中学を中退し、高校にも進学していません。
その後、引きこもりは20歳まで続き、大検を取ったのちに、愛媛大学法文学部の夜間コースに進学しました。
結局は大学2年生の途中で中退し、お笑い芸人を目指して、NSC東京校の3期生として入学しています。
引きこもりがなければ、山田ルイ53世さんは現役で東大に合格していたのでしょうね。
そんな山田ルイ53世さんの人生を狂わせたのは、一体何だったのでしょうか。
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山田ルイ53世の引きこもりの原因は?
六甲中学校に入学した山田ルイ53世さんでしたが、そこで周囲との違和感を感じるようになります。
難関の名門校であることから、親が医者や弁護士といった裕福な家庭の同級生が多くいました。
公務員の家庭で育った山田ルイ53世さんは、そんな同級生たちとは住む世界が違うのだと思い知らされます。
しかし、それはそれと割り切って、山田ルイ53世さんは優秀な成績を収めていました。
勉強と運動の両方が出来るということで一目置かれる存在になっていた山田ルイ53世さんは、徐々にその状況に苦しむようになります。
優等生がゆえに、模範となるような生徒像というのを無理して演じている部分もありました。
そして、引きこもりを決定付ける出来ことに見舞われてしまいます。
いつものように学校へは2時間近くかけて通っていました。
学校へは駅を降りてから、さらに山の上までかなりの距離があります。
中2のある日の夏のこと、いつものように登校していた山田ルイ53世さんは、坂道を上っている途中で便意をもよおしてしまいました。
学校まで我慢しようと踏ん張っていましたが、結局は大きい方を漏らしてしまいます。
学校についた山田ルイ53世さんは、校庭で下着を洗い、素知らぬ顔で授業に出ました。
しかし、時間が経つにつれて徐々に臭いが気になり出し、周囲も何となくそれを察知します
しかし、優等生だった山田ルイ53世さんに対して、周囲はツッコんだりからかったりすることもできず、不穏な空気だけが流れていきました。
いたたまれなくなった山田ルイ53世さんは、4時間目が始まる前に、何も告げずに家に帰ってしまいました。
そのまま夏休みに突入し、今までの悩んできたことが一気に噴出してしまいます。
同級生との経済格差や、優等生を演じている自分に我慢の限界を感じ、9月の始業式の朝にはベッドから起き上がる気力を失っていました。
それを見た父親は立腹し、山田ルイ53世さんのわき腹に蹴りを入れて、登校するように促します。
しかし、結局はそこから学校に行くことを止めてしまいました。
多感な年頃ということもあり、色々なことを考えすぎてしまったのでしょうね。
そこから20歳になるまで、山田ルイ53世さんの引きこもりが始まることになります。
山田ルイ53世の逆転人生
まさか、今まで優等生だった息子が引きこもりになるなんて、山田ルイ53世さんのご両親も相当悩んだはずです。
高校受験にも失敗した山田ルイ53世さんは家を追い出され、一人暮らしを始めることになりました。
とにかく自分の頭で冷静に今後のことを考えさせようと、家を追い出したのでしょうね。
すっかりとやさグレテれてしまった山田ルイ53世さんの生活態度は、しばらくは変化することもなく、年月だけが流れていきました。
そして、ふとテレビを付けた時に、そこには同世代の成人式のニュースが流れていたのです。
そこで自分の状況がマズイと気が付いた山田ルイ53世さんは、とりあえず大学へ行き、今までの帳尻合わせをしようと考えました。
そこから大検を取り、ラジオ講座を聞きながら一人で受験勉強を始めることになります。
そして、自分の勉強した教科だけで受験できる国立大学を探し、なんとか愛媛大学法文学部の夜間コースに合格しました。
山田ルイ53世さんは大学に入学することによって、社会復帰を果たせるだろうと考えていましたが、心のどこかにわだかまりを持ったまま大学生活を送ることになります。
柔道部に入部したり、バイトを始めたりと、新しい環境になじもうと努力しましたが、結局は自分の心を満たすことが出来ず、大学2年生の途中で退学し、NSC東京校に入学しました。
そして、お笑いの世界に触れた山田ルイ53世さんは、今までの自分の概念を覆されることになります。
ブレイクするまでには時間がかかりましたが、自分らしく精いっぱい生きるという満足感を得ることが出来ました。
一発屋と呼ばれるようになってからも、威風堂々とした態度の山田ルイ53世さんの中では、引きこもりの辛い経験を味わっているので、いま生きていることが楽しいと実感しています。
神童だったがゆえに、多くの深い悩みに苦しめられてきましたが、お笑いに出会ったことで、人生の逆転劇を演じることが出来て、本当に良かったですよね。
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山田ルイ53世の嫁と子供
山田ルイ53世さんは、お笑い芸人になったことで、結婚も出来たといっても過言でありません。
もちろんブレイクしたということも大きいとは思います。
そんな山田ルイ53世さんとお嫁さんとの出会いは、先輩芸人の紹介からでした。
相手のお名前は丸山恵子さんとおっしゃり、化粧品販売員をされていたそうです。
二人の交際は順調に進み、山田ルイ53世さんはテレビ番組内で公開プロポーズをしました。
そして、お嫁さんの提案で、2011年8月8日(髭の日)に入籍しています。
2012年7月4日には第一子となる長女が誕生しました。
名前を「百夏(ももか)」ちゃんと命名し、その喜びをTwitterでも報告しています。
引きこもりだった頃の自分の姿を考えると、まさか、自分に子供が出来るなんて想像もしていなかったのでしょうね。
娘が出来たことによって、父親としと責任感が生まれ、今後もさらに仕事に精進していくとも語っています。
そして、自分の家庭という幸せを手にした山田ルイ53世さんのところには、第二子となる次女が2019年6月11日に新しい家族として加わりました。
新しい家族が増えたことで、さらなる幸せを手にした山田ルイ53世さんは喜び一杯の様子でしたね。
ところで、山田ルイ53世さんのご両親とは仲直りできたのでしょうか。
ブレイクした時点で、ご両親は喜んだと思いますが、可愛い孫の姿を見せてあげられたことで、少しでもの親孝行にはなっていますよね。
おわりに
山田ルイ53世さんは引きこもりの経験を生かし、現在は引きこもりで悩んでいる人の相談にも乗っているそうです。
また、書籍も何冊か出しており、徐々に文化人的な立ち位置になっていますよね。
そこには、山田ルイ53世さんにしか語ることの出来ない、説得力のある考え方が存在しています。
もともと頭の良い方なので、文才能力が高いということはもちろんなのですが、何といっても、辛い実体験からの逆転人生を手にしたということが大きいですね。
現在の日本では、引きこもりの高齢化が顕著に進み、国が発表した人数よりもさらに多くの引きこもりが存在していると言われています。
山田ルイ53世さんにとっては、他人事の問題として考えられませんよね。
山田ルイ53世さんの何か妙案はないのでしょうか?
とりあえずは、一発屋ということを逆に売りにして、活躍の場を広げている山田ルイ53世さんの今後の活躍も応援しております。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!